歯科医院の経営が安定し、患者数やスタッフ数が増えてくると、分院展開を考える院長もいるでしょう。新しい地域へ医療を届け、勤務医やスタッフが活躍できる場を増やし、法人としてさらに成長できる可能性があります。
一方で、医院数を増やしたことで、組織が不安定になることもあります。本院では当たり前にできていた患者対応が分院ではできない、医院ごとにスタッフの考え方が違う、分院長によって診療方針や数字への意識が変わるといった問題が起こります。
分院展開で難しいのは、新しい診療所を開設することだけではありません。本院で院長が直接伝え、判断し、修正してきたことを、院長が常にいない場所でも再現できる組織へ変えることです。
理念を掲げていても、採用、教育、評価、会議、数字の見方が医院ごとに異なれば、法人として同じ方向には進めません。反対に、すべてを本院と同じにしようとすると、地域や患者層、スタッフ構成の違いに対応できなくなります。
この記事では、分院展開で組織が崩れる原因と、複数医院の理念・人材・数字を揃える方法、さらに法人としての統一と各医院の裁量を両立させる仕組みを解説します。
分院展開で組織が崩れる主な原因
分院展開がうまくいかないとき、分院長や現場スタッフの能力だけを問題にしてはいけません。法人の成長速度に対して、人材、教育、情報共有の仕組みが追いついていない場合があります。
本院の成功を仕組みにせず、そのまま再現しようとしている
本院が成長できた背景には、立地、患者層、院長の診療力、既存スタッフの経験、長年かけて作られた関係があります。これらを整理せず、「本院と同じように行えば成功する」と考えて分院を作ると、現場はうまく対応できません。
本院では、院長が診療室を見ながら、その場で細かな指示を出していたかもしれません。ベテランスタッフが暗黙のうちに新人を支え、問題が起きる前に調整していた可能性もあります。
そのような個人の経験や関係性は、建物、設備、マニュアルだけでは分院へ移せません。本院で何が成功を支えているのかを、理念、役割、業務手順、判断基準として言語化する必要があります。
たとえば、患者への説明を大切にしているなら、単に「丁寧に説明する」と伝えるだけでは不十分です。どの段階で誰が説明し、理解度をどのように確認し、説明不足があった場合に誰へ報告するのかまで整理します。
分院展開とは、本院をそのまま複製することではありません。本院で院長やベテランスタッフが無意識に行っていることを、他の人でも実践できる仕組みへ変えることです。
分院長と責任者が育つ前に医院数を増やしている
新しい医院の物件や開業時期が決まってから、分院長や責任者を探し始めることがあります。しかし、医院を任せられる人材は、短期間の研修だけで育つものではありません。
臨床ができる歯科医師であっても、スタッフ対応、患者からの相談、数字の確認、院内ルールの運用まで、最初から一人で行えるとは限りません。スタッフ側の責任者も、役職名を与えただけでチームをまとめられるわけではありません。
責任者が育っていない状態で分院を開設すると、あらゆる問題が理事長や本院へ集まります。理事長は本院と分院を行き来し、分院長は判断を待ち、スタッフは誰の指示を優先すればよいか分からなくなります。
分院開設の準備では、物件、設備、採用だけでなく、開設後に誰が医療、人材、数字を管理するのかを早い段階で決める必要があります。
候補者には、開設前から新人教育、会議の進行、患者対応、数字の振り返りなどを経験してもらいます。実際の役割を任せ、その結果を確認しながら、開設後に担う責任を段階的に広げます。
医院数を増やせるかどうかは、資金や患者需要だけでは決まりません。次の医院を任せられる人材と、その人を支える幹部や本部が育っているかも、重要な判断基準です。
問題と数字が理事長へ届くまでに時間がかかっている
医院が一つであれば、院長は患者の反応、スタッフの表情、予約の流れを直接確認できます。しかし、複数医院になると、現場で起きていることは報告を通じてしか把握できません。
報告の基準が決まっていないと、分院長は「この程度なら自院で解決すべきだ」と考え、問題を抱え込みます。反対に、細かなことまで理事長へ確認する医院では、現場の判断が進みません。
数字も同じです。売上が目標を下回ったことだけを月末に知っても、その原因が患者数、キャンセル、診療時間、スタッフ不足のどこにあるのか分かりません。
重要なのは、結果が悪くなってから報告することではなく、変化の兆候を早い段階で共有することです。医療安全、重大な患者対応、人材問題などはすぐに報告し、患者数、キャンセル、売上、採用、教育などは決めた周期で確認します。
問題を報告した分院長が責められる組織では、悪い情報ほど隠されます。早く報告したことを評価し、法人として支援する姿勢を示すことが必要です。
複数医院の理念・人材・数字を揃える方法
複数医院を一つの法人として運営するには、同じ名称やロゴを使うだけでは不十分です。理念、人材育成、数字の見方に共通する土台を作り、各医院が同じ方向へ判断できる状態を目指します。
理念を具体的な判断と行動へ落とし込む
理念は、法人全体をまとめる中心になります。しかし、抽象的な言葉を掲示するだけでは、医院ごとの判断は揃いません。
たとえば、「患者に寄り添う医療」という理念があっても、急患の受け入れ、治療説明、予約時間、クレーム対応で何を優先するかが分からなければ、各院長の考え方によって対応が変わります。
理念を、患者対応、診療、採用、教育、評価などの具体的な判断へ落とし込みます。「患者の話を最後まで聞く」「選択肢と費用を説明する」「分からないことを曖昧にしない」といった、現場で確認できる行動として共有します。
入職時研修だけでなく、朝礼、会議、症例検討、面談、評価の中でも理念を扱います。実際に起きた事例を取り上げ、「法人の理念から考えると、どの対応が適切だったか」を話し合います。
理念は、理事長の考えを覚えてもらうための言葉ではありません。理事長がその場にいなくても、スタッフや分院長が同じ方向で判断するための基準です。
採用・教育・評価に法人共通の土台を作る
医院ごとに採用基準が異なると、同じ法人の中でも求める人物像が変わります。ある医院では報告や協力を重視し、別の医院では個人の成果だけを重視していれば、異動や連携の際に混乱します。
法人として譲れない採用基準、入職時に教える内容、評価する行動を共通化します。医療安全、患者への姿勢、誠実な報告、職種間の尊重などは、医院の違いにかかわらず共有すべき土台です。
一方で、各医院の患者層や診療内容に応じて、必要な経験や担当業務が異なることもあります。すべての採用条件や教育内容を完全に同じにするのではなく、法人共通部分と医院別部分を分けます。
新人教育では、職種ごとの基本到達目標とチェックリストを共通化し、各医院の責任者が進捗を確認します。評価でも、役割や成長段階に応じた共通基準を持ち、評価者による違いを定期的にすり合わせます。
人材の基準が揃えば、異動や応援勤務の際にも、何を期待されているか理解しやすくなります。また、次の分院長や幹部候補を、法人全体の視点から育てられます。
共通の数字と定義で各医院の状態を確認する
複数医院の数字を比較するときは、単に売上だけを並べてはいけません。患者数、キャンセル、診療台の稼働、スタッフ数、診療内容など、背景が違えば売上の意味も変わります。
まず、法人で確認する数字と、その定義を揃えます。新規患者数、再来患者数、キャンセル率、自費率、人件費率など、同じ言葉でも医院ごとに集計方法が違えば比較できません。
数字は、良い医院と悪い医院を順位づけするためだけに使うものではありません。変化の理由を発見し、必要な支援や改善を考えるために使います。
たとえば、売上が下がっていても、分院長が新人歯科医師の教育へ時間を使っている場合があります。患者数は増えていても、待ち時間やスタッフの残業が増え、組織に無理が生じている可能性もあります。
各医院では、数字と現場の出来事を結びつけて振り返ります。本部や幹部は数字の変化を見つけ、分院長と原因を整理し、改善策を決めます。
数字を理事長や本部だけが見るのではなく、役割に応じて分院長や責任者にも共有します。自院の状態を理解し、自分たちで改善を考えられるようにすることが必要です。
法人の統一と各医院の裁量を両立させる仕組み
複数医院の運営では、すべてを統一しても、すべてを各医院へ任せても問題が起こります。法人として守る部分と、地域や現場に合わせて変更できる部分を明確に分けることが大切です。
法人共通ルールと医院裁量の範囲を分ける
医療安全、法令、個人情報、労務、理念、基本的な患者対応など、法人全体で統一すべきことがあります。医院によって異なる方法を認めると、患者やスタッフの安全、法人の信頼に影響します。
一方、院内掲示、地域への広報、日常の役割分担、患者層に応じた一部の取り組みなどは、各医院の工夫を生かせる領域です。
すべてを本部の承認制にすると、現場の動きが遅くなり、分院長は考えなくなります。反対に、各医院へ任せすぎると、法人としての品質や方向性がばらばらになります。
業務ごとに、法人が決めること、医院が決めてよいこと、事前相談が必要なこと、事後報告でよいことを整理します。
各医院が新しい取り組みを行い、良い結果が出た場合は、法人全体へ広げられないか検討します。統一とは、本部から現場へ一方的にルールを渡すことではなく、各医院の良い実践を法人の標準へ変えていくことでもあります。
会議・報告・支援を一つの流れにする
分院長会議や幹部会議を行っていても、各医院が順番に報告するだけでは、組織の改善にはつながりません。
会議前には、共通の数字、現在の課題、前回決めた行動の進捗を共有します。会議では、変化の理由、他院にも共通する問題、法人として決めるべきことに時間を使います。
問題が見つかったら、各医院へ注意するだけでなく、必要な支援を決めます。教育担当者の派遣、採用支援、マニュアルの修正、幹部との面談など、誰が何を行うかを明確にします。
次回の会議では、決めた対策が実施されたか、期待した変化があったかを確認します。報告、判断、支援、結果確認が一つの流れになって初めて、会議が法人のマネジメントとして機能します。
本部や幹部が問題を取り上げるだけで、現場へ支援を返さなければ、分院長は報告を負担に感じます。報告したことで解決が進んだという経験を作ることが、正確な情報共有につながります。
組織の力に合わせて分院展開の速度を決める
分院展開では、良い物件や機会が見つかると、早く進めたいと考えます。しかし、開設できることと、安定して運営できることは別です。
新しい医院を作るたびに、本院や既存分院から人材を移動させ、教育担当者や責任者が不足すれば、既存医院まで不安定になります。
次の分院を考える前には、分院長候補、スタッフ責任者、本部の支援体制、採用力、教育力、資金、既存医院の安定を確認します。
一人の優秀な責任者に複数医院の問題が集中していないか、理事長が現場へ入らなければ運営できない医院が残っていないかも重要です。
私自身、医院数とスタッフ数が増える中で、組織の成長は、開設した医院数だけでは測れないと感じてきました。責任者が育ち、理念と基準が共有され、問題を早く報告し、自分たちで改善できる医院が増えているかを見る必要があります。
分院展開の速度を落とすことが、成長を止めることになるとは限りません。人材と仕組みを整えた上で次へ進む方が、長期的には安定して医院を増やせます。
まとめ
分院展開で組織が崩れる原因は、医院数が増えたことそのものではありません。本院で院長やベテランスタッフが担っていた判断、教育、調整を仕組みにせず、責任者が育つ前に規模を広げることにあります。
本院の成功をそのまま分院へ移そうとしても、立地、患者層、スタッフ構成が違えば同じ結果にはなりません。本院の強みを、理念、役割、判断基準、業務手順として言語化する必要があります。
複数医院を一つの法人として運営するには、理念を具体的な行動へ落とし込み、採用、教育、評価に共通の土台を作ります。数字についても、法人で確認する項目と定義を揃え、結果だけでなく変化の原因を確認します。
一方で、すべての業務を本院や本部と同じにする必要はありません。医療安全、法令、理念など法人として守る部分と、地域や患者層に合わせて各医院が工夫できる部分を分けます。
会議では報告だけを繰り返さず、問題の原因、必要な支援、担当者、期限を決めます。そして次回に実行と結果を確認し、報告した医院へ法人として支援を返します。
分院展開を進める際には、物件や資金だけでなく、次の分院長、責任者、本部、教育担当者が育っているかを確認します。既存医院が理事長や一部の幹部へ依存している状態で次を増やせば、組織全体に無理が生じます。
強い多院組織とは、すべての医院がまったく同じ医院になることではありません。法人として同じ理念と基準を持ちながら、それぞれの地域と患者に合わせて、院長やスタッフが自分たちで適切に判断できる組織です。
まずは各医院について、「理念」「人材」「数字」の三つのうち、どこが法人全体で揃い、どこが院長や医院ごとの感覚に任されているかを書き出してみてください。揃えるべき基準と、現場へ任せる範囲を分けることが、分院展開でも組織を崩さないための第一歩になります。
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